制作や作家活動に携わることは決して夜中にやらない
このブログは早朝コンビニの中で10分で書き上げたもの。
僕は制作や作家活動に携わることは決して夜中にやらない。
夜は不思議な力を持っていて、それは負のオーラの塊が襲ってくるからだ。
"夜風/車内での音楽/部屋で聴く音楽/バラード/酒/余韻に浸る酒に溺れた自分/空見上げたら星空/星空なかったら星がないわの気持ち/三日月/満月....."これらは制作に関して全く関係がない。完全に関係がない。朝から日中にかけてからが一番惑わされない素面の自分だ。燦々と浴びる太陽の下で制作を冷静に黙々としていく。作家はいつだって客観的、俯瞰的に自身の作品に向き合わないといけない。そうじゃないと前に進めないからだ。誰かに頼るというのは違う。いわゆる人脈というものも自分でしっかりと選び、その人に向けてプレゼンをしていく。その過程では何十回も断られることもあるだろうけど、それでも作品を抱きしめて再び前を向き進んでいく。そしたら必ず自分の作品を理解し、認めてくれる大切な方々と出会う。僕は何よりもそれを大切にしている。
僕はよくアーティストの方の話を聞く。(多分、ジャンル的に写真家だから話しやすいのだろう)1年前に美術手帖で大きく取り上げられたこともあるけど「作家とコレクターの関係性」(コレクターに限らず作品を支援してくれる人間。)"作品を買う=あれを買う"ために金を持て余した男が「作品を買う」といいながら"酒"に誘う。アーティストはその先がどうなるか分かった上でその場に行く。それが悪いわけではない。ある意味肝っ玉が据わっていてクールかもしれない。ただ歳を重ねていき、そのような"声=酒"もなくなった時。その作家には"作品"しか残らない。その時にその"作品"は果たしてギラギラと輝くのだろうか。その時にそのアーティストに作家生命はあるのだろうか。そんなこと僕は思う。僕は聞かれたらいつも"それ"を言う。すると連絡もなくなる。
今月、7月は写真集のクライマックス。ほぼ日帰りのような状態で4回、東京の印刷会社に行く。何よりも大切な僕の作品集のためだけに。そして個展の準備も着々と。愛おしい自分の作品に全力出す。生半可じゃない糞根性。
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